10月のことを「神無月(かんなづき)」と呼びます。
この言葉を聞いて、
「10月は神さまがいなくなる月なの?」
「神棚の神さまも、出雲へ行ってしまうの?」
「それなら、神棚に手を合わせても意味がない?」
そんな疑問を持ったことはないでしょうか。
毎日の暮らしの中に神棚があるからこそ、少し気になる「神無月」のお話です。
なぜ10月を「神無月」と呼ぶの?
「神無月」には、いくつかの由来があるとされています。
その中でもよく知られているのが、旧暦10月になると全国の神々が出雲の地へ集まるため、各地では「神無月」、反対に出雲では神さまが集まる「神在月(かみありづき)」と呼ばれる、というお話です。
出雲大社では、全国から集まった神々が、人と人とのご縁をはじめ、さまざまな「ご縁」について話し合う「神議(かみはかり)」が行われると伝えられています。
神さまたちが一堂に集まり、これからのご縁について話し合う。
そう考えてみると、神無月という名前から受ける少し寂しい印象とは、ずいぶん違って見えてきます。
では、10月になると神社から神さまはいなくなる?
ここで気になるのが、
「全国の神さまが出雲へ行くなら、近所の神社には神さまがいなくなるの?」
ということ。
実際には、「10月だから神社にお参りしてはいけない」という決まりはありません。
神無月の由来にもさまざまな考え方があり、地域によって伝承も異なります。
ですから、
「10月は神さまがいないから、神社へ行っても意味がない」
と考える必要はありません。
いつもの月と同じように神社を訪れ、日々無事に過ごせていることへの感謝を伝えて大丈夫です。
神棚の神さまも、いなくなってしまうの?
では、おうちの神棚はどうでしょう。
こちらも、10月だからといって神棚へのお参りをやめる必要はありません。
神棚は、お神札をお祀りし、日々の暮らしの中で神さまへ感謝を伝える場所です。
朝起きたとき。
家族が出かけるとき。
何かうれしいことがあったとき。
そして、特別なことが何もなかった一日の終わりにも。
暮らしの中でふと神棚を見て、手を合わせる。
その時間そのものが、家庭に神棚をお祀りする意味のひとつなのだと思います。
10月も、いつも通りで大丈夫
「神無月だから、何か特別なことをしなければいけないのかな」
と思う方もいるかもしれません。
けれど、特別なことをする必要はありません。
いつものように神棚をきれいに整える。
お水を替える。
お供えをする。
そして、手を合わせる。
それだけで十分です。
むしろ季節が変わる10月は、神棚を少し丁寧に整えるきっかけにしてもよいかもしれません。
夏の間にたまったほこりを払い、神具を整えて、新しい季節を迎える。
神棚がきれいになると、不思議とその周りの空気まで少し整ったように感じます。
神社と神棚は、遠いものではありません
神社へお参りする時間と、おうちで神棚に手を合わせる時間。
場所も雰囲気も違いますが、そこにある気持ちは、案外よく似ています。
お願いごとをするだけではなく、
「今日も無事に過ごせました」
「ありがとうございます」
と伝えること。
神社という特別な場所だけではなく、毎日の暮らしの中にも、そうした時間を持つことができます。
それが、おうちに神棚があることの良さなのかもしれません。
「神さまがいない月」ではなく、神さまを思い出す月に。
10月を迎えると耳にする「神無月」という言葉。
その由来を知ると、
「神さまがいなくなってしまう月」
というよりも、
「神さまのことを、少し身近に考えてみる月」
にも思えてきます。
忙しい毎日の中で、神棚の前に立つ時間はほんの数秒かもしれません。
それでも、神棚を見るたびに少しだけ立ち止まり、今日までのことを思う。
そんな小さな時間を、これからも大切にしていきたいと思います。
暮らしの中に、かみさまを思うひとときを。
かみさまとひかり。

モダン神棚・神具のかみさまとひかり